衝突
宗教に限らず、人間は意見や価値観の相違により衝突が起こる。
衝突は無理解や偏見に基づいている。
非常に小さなことから差異は生まれ、それがだんだんと膨らみ、知らぬ間に敵意を抱く根源となる。
全ての問題は実に小さなことから生まれる。シンプルで簡単な言葉や手法で解決出来ることを先延ばしにした結果、複雑に絡み合った糸のようにもつれた箇所が多岐に渡り、なかなか一本のまっすぐな姿に戻れない。
でもそれも幻想で、もつれた箇所は自身の寛容の未熟さと解くことの出来るチャンスから目を背けているに過ぎない。
小さな差異を尊重することには勇気がいる。それまでに蓄積した自分の人生を否定する行為に感じるからだ。
また、相手を認めることが自分の負けを意味することにも感じられる。この負け感は相手に期待し過ぎている結果だと思う。期待とは、自分をそれ以上発展させることのない状態を受け入れてもらいたいという甘えではないか。要するに自己中心的な思考から来ると思う。
発展には覚悟や勇気などの負荷が
かかる。私たちが健康な身体作りのために運動をしたり食事に気をつけるなどの様々な行動変化に負荷を要するのと同じだ。とりかかったものの持続することは更に厳しく感じる。だが、多少の負荷があってこそ筋肉が強くなったり免疫が出来、覇気のある自分を感じて気分も爽快、明らかにパワーアップした自分が作り出される。取り組んだだけの成果が得られる。
差異へのこだわりの克服にも想像以上の向上がある。視野が広がることで人間関係も大きく変わっていく。新しい自分は新しい交流を生み出す。人間的発展のためには、開かれた心を自分で作り出すことだ。
衝突ではなく、穏やかな自分でどんなな人とも対話出来る姿が望ましい。
0コメント